Diary
Always, now under Construction.
この日記は、基礎ゼミの活動内容を公開するものです。毎週当番が日記を書いてメールで担任宛に送信し、次回講義の冒頭に出席者全員で文章をチェックして、了解の上で掲載しているものです。個人情報保護の観点から、日記当番の氏名表記はイニシャルやカタカナなど各人の申請を尊重したものです。授業の内容の確認、当日欠席者への情報、学部生への履修案内を目的としています。(上沼)
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2002年2月5日
今年度最後の授業
( )
( )
2002年1月29日
授業
( 晴れ )
体調不良の1名プラス用事?で欠席の1名。
4名のページを順にスクリーンに映して文章やデザインをチェック。
一週空いたせいか、なかなか面白く、予想を上回る出来映え。中には初めてという学生もいたが、
よくもここまで・・・・。
自分なりの研究テーマとケースを発見して欲しい、というのが目的だったが、その点をもっと
表現してもらえれば、と思うが、専門ゼミ進級後の展開を期待する。
因みに、担任のゼミ進学者は無し。譬えは悪いが、戦場から新兵を無事連れ戻ったエンディングの
「コンバット」の鬼軍曹みたいだ。これも、広く社会科学を学ぶ方針だったからと思うことに
した。
来週は、ページの整形と欠席者のページアップ。
終了後、アップロードの段に至り、拡張子問題やファイルの階層問題などのせいか、読込みに何度も失敗して閉門時間を過ぎる。次回、要チェック。
( 上沼 )
2002年1月15日
授業
( 晴れ )
1名欠席。体調不良との連絡。授業のあとで担任がメール連絡をする。
前回の約束通り、履修者各自のページ案をプレゼンテーションする。
5名のうち3名が発表。1名はほぼ完成だが、他はまだ途中かアイデアのみ。
次週の1月22日は、学部で決めた後期補講日で通常の授業は休講措置。
これを良い機会に、2週間後の次回には、完成したページ案を用意すること
になる。
散会後、担任よりページに各自の授業評価を盛り込むようにとのメールが
発信された。
( 上沼 )
2002年1月8日
授業
(晴れ時々曇り)
1名欠席
あけましておめでとうございます。本ゼミも残すところ1ヶ月となりました。
本日は冬休み明けということで、まず残り期間に行う作業の確認を行いました。
本ゼミにおいて残す課題は、ホーム・ページ作成とその発表のみとなりました。
そこで残り時間でホーム・ページを完成させることと、来週から発表を行うこと、
そして最終的に今月の29日にはアップ・ロードすることの確認をしました。
ホーム・ページを完成させるにあたっては、この基礎演習の最終的な目的であ
る「履修者各自が、自分の社会科学の研究テーマとケース・スタディを発見し、
なぜ他でもないそのテーマでありケースなのか」をホーム・ページ内できちんと
説得的に明示することを先生は強調されていました。
また、このホーム・ページ作成では、「イメージ」を貼り付けることも課せられて
いるが、HTMLのタグを使っての貼り付け方の再確認も行った。
それらを確認した後の残り時間は、各自、黙々とホーム・ページの仕上げに取
り掛かった。さてみんなはどんな研究テーマを見つけたのだろう。
発表が楽しみである。
(ミナガワ コウイチロウ)
2001年12月22日〜2002年1月7日
冬休み
(晴れ)
( 上沼 )
2001年12月18日
2001年最後の授業
(晴れ)
欠席者2名
日に日に寒さが増し、いよいよ冬の到来を感じるようになってきた今日この
頃、「なぜ日本は没落するか」の第8章「救済案への障害」の発表が行われま
した。
発表者は三人ともざっくりとおおまかな発表となり、三人ともが、あまり歴史
問題にはふれず、日本的な「競争的独裁」の問題などが中心となった発表となり
ました。
その後、上沼先生が第8章のおおまかなまとめをされ、この章で注目すべき
こととして、「競争的独裁制」、「戦陣訓」、「高田保馬の勢力説」の三つを上
げられました。
その後、議論はEU問題、競争独裁制と日本の和の問題からの政治の問題点など
と進み、途中で先生より日本的家父長制の問題についての指摘もあり、最終的に
アジア共同体についての議論に行き着き一応の終わりをむかえました。
今年は今回で終わりです。次回、2002年の授業からは各自のホーム−ページ
の作成と発表にうつることとなりました。
(Y.M)
2001年12月11日
授業
(晴れ)
14号館の中にいてもわかるくらい外は風が強い。
今日は1人欠席。
『なぜ日本は没落するか』第七章について発表をおこなった。
第七章はこれまでの章で語られた日本が没落する要因をふまえ著者の提言が書かれた
章である。
重要な章だけにみんな力が入っていた。
内容を簡単にまとめると、政治的イノベーション不在の日本にイノベーションをもた
らすために東北アジア共同体を結成しようというものであったが、著者の東北アジア
共同体論が政治的には現実離れしているという批判が出た。
しかし、代替案をプレゼンのなかで提示できていたのが一人しかいなかったため、
議論が批判しかできず、消化不良に終わった。この点は反省し次回から注意したい。
( M.Y. )
2001年12月4日
授業
(曇り)
午前中降った雨のせいでやけに肌寒い。
欠席は1名。
本日は、第六章『教育の荒廃』についての発表と議論が行われた。
本章の内容は、他の章と比べて私たち大学生にとっては非常に身近なテーマであっ
た。著者森嶋氏は、教育の大衆化にともなう大学生の質の低下、教えることに関心を
持たない大学教授に対して憂い、痛烈に批判した上で、幾つかの教育改革案を提示さ
れた。その内容は、
- 学生が深く考える力を養成できるように科目数を大幅に削減して、一つの分野
に『専門化』すること、
- 大学生としての自覚を持たせるためには、競争原理とインセンティブの導入が
必要であり、そのためには学生を選別することと進学率を抑制することが重要だ
とするものである。
以上の点を踏まえて、とりわけ私たち大学生の視点から、"いかにすれば大学生とし
ての自覚"を持つことができるかについて意見を交わしたのだが、身近なテーマであ
るが故に、個々のゼミ生の意見も十人十色であり、折り合いをつけるまでには至らな
かった。
( T.K. )
2001年11月27日
授業
(晴れ)
ぼくの気分は曇り。
森嶋通夫著「なぜ日本は没落するか」第5章のレジュメを各自発表して
いった。
この章は「産業の荒廃」を年功序列や終身雇用などの制度そして
個人の意識から考察している。ゼミ生の発表後、上沼先生の総括に移る。
先生は、作者が父親の生涯から仮説を導きだしている点に、興味を持って
いた。その後、各自自分の気になる部分を掘り下げてレジュメを作るよう
に、と指導があった。
(T.H)
2001年11月20日
授業
(晴れ)
外は木枯らし。冬はもうそこまできている。
今週はゼミの面接等で遅刻、欠席が3名、気温同様肌寒い出席率のもとで演習が
始まった。冒頭で先生から前回の日記を読み上げつつ、パワーポイントを使った発表
に対してのアドヴァイスがあった。テキストを読み通す際に、絶えず仮説が何なの
か、ポイントは何なのかを吟味することに加えて、もっと自分の感じたこと発表する
ことを要求された。
さて、発表は日記当番の私が先陣を切る筈であったのだが、いざ発表へ向かわむとす
るに(原文ママ)、ノートパソコンからFDが抜けない。あたかも挿入口の奥深くに
ディスク自身がしがみついているかの如く、頑として抜けない。
仕方なくマルティメディア支援室の職員の方にお越しいただき、ディスク内のデータ
を自身にメールで送信するということで、事態は解決の方向へ向かうのかと一時は
期待を抱かせたが、今度はそのメールがいつになっても届かない。
止むを得ず発表の順番を先送りしてもらうことになった。
発表、議論は、森嶋通夫氏のテキストの第四章「金融の荒廃」について行われた。土
地神話に対する疑問から、80年代の日本経済とバブル崩壊へと至る流れ。また、バ
ブル崩壊の原因や、日本版ビックバンの影響から円の将来予測に対する意見の交換が
あった。
結局私宛のメールは授業時間内に届くことはなく、発表することができなかった。悔
しかった。
次回は同著作の第五章「産業の荒廃」についての発表が行われる。
(M.T.)
2001年11月13日
授業
(曇り) 欠席者1名
今回は森嶋通夫著「日本はなぜ没落するか」の第三章の発表でした。授業の冒
頭、前回、無断で欠席をした僕、Y.M.が先生よりお叱りを受け、学生のモラル低下の
発表をしておきながら、自らがその証明となってしまい非常にお恥ずかしい限りでし
た。理論が机上の空論とならぬよう、学んだことを現実とリンクさせる必要性を感じ
ました。
さて、発表は日記当番である僕から始まりました。発表形式が、全員が同じ
課題を発表するものであるため、お互いの内容が重なり合ってしまうところも多々出
てきてしまう。後続の発表者は、それまでの発表とは違う点を特に意識して発表
する必要がある。よって、最初に発表を行うひとは全体を包括した発表が必要であ
ると感じました。そのため日記当番の人はそのことを心がけてレジュメを作る必要が
あるのかも知れません。
(前回より、日記当番が”蜘蛛の巣とり”となったが、それは
日記を付けることを意識してもらうためである。尚、今回も同じテキストを各自独自
のスタイルとポイントでプレゼンしていて興味深かった。Y.M.君も各所にイメージ
を貼付けていたし、ワードで作った図を効果的に挿入した者、比較対照を整理して
判り易く表現した者、と居たが、惜しむらくは何もかもテキストの順序で残らず
ポイントとして要約したり、プレゼン時にテキストを読み上げることがなければ
もっとよかったのに。−上沼注とコメント。)
発表後、残り時間があまりなかった関係上、先生からの総評が中心となりました。
先生は、第三章における中心的問題は、森嶋が、人間と社会の分析にV.パレート
の理論を活用したところにあると指摘されました。事実、第三章において、パレート
の社会分析をもちいた点以外の部分に関しては、どこかで聞いたことがあるような話
が多く、新しいものではありませんでした。この本に独自なものは何であるのかを
もっと突き詰めて考える必要性を感じました。 (たえず、何が仮説なのか、ポイント
は何なのか、吟味すること。一度読んだら、テキストを離れて忘れ、それでも印象に
残ったものだけをパワーポイントでメモすること。−上沼コメント)
次に森嶋が論じている現在の若者像について、当の若者
である我々ゼミ生の意見をそれこそ聞きたいと先生の話があり、その考察が始まりまし
たがそこで時間切れとなってしまい、議論は次回の第4章の発表後に持ち越されました。
(Y.M.)
2001年11月6日
授業
(曇り) 欠席1名 Y君
本日もいつも通り、まずゼミ生全員で、先週の日記当番による日記案の確認を行う。
そして課題のプレゼンテーションの前に、パワーポイントにおけるリンクの張り方の
説明を先生から受ける。これを上手く利用すれば、議論の展開に合わせてより効率的に
プレゼンテーションを行えるので、今後の発表でこれを利用していきたいと思う。
さていよいよプレゼンテーションに入るが、本日の課題は、森嶋通夫著
『なぜ日本は没落するか』の第二章「人口の分裂」である。発表は本日の日記当番
である僕から始めることになった。先生も仰っていたが改めて、みんな同じ本を
読んでいるのに様々な視点、論点整理の仕方があることに驚かされる。しかし、それぞれ何とか
まとめてきているが、先生より第二章のタイトルである「人口の分裂」、
特に「分裂」の部分に対して、上手く論を運べていないので、もっとそれを強く
意識してスライドを作成するようにとの指摘を受ける。
発表後は本日の課題に対しての議論に移る。議論は特に戦前と戦後の教育の
質的な違いに焦点が当てられた。特に戦後の大学のあり方については、我々は現在、
大学生と言うこともあり、身につまされる思いであった。議論はまだ始まったばかり
なので、とりあえずそれぞれが自分の考え方を述べるに留まり結論は出なかった。
この点に関しては今後、さらに読み進めるうちに議論を深めていきたいと思う。
来週は、第三章「精神の荒廃」について、プレゼンテーションを行う。
(ミナガワ コウイチロウ)
2001年10月30日
授業
(曇り)
今日から新しいテキスト:森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』の発表に入った。
それと同時に、前回まではWordを使ってレジュメを作成し、それをスクリーンに映し
て発表してきたのを、今回からはPowerPointを使っての発表に変わった。
今回は第一章「予測の方法論」について。先生いわく「スライド2枚ですむ」程度
の内容だったが、みんな不安なせいか、平均して5〜6枚になっていた。内容
的にはまだ序論であり、論を云々する段階にはいってはおらず、スピーディに発表が
進行した。
そのため今回は発表の内容よりも、プレゼンについての技術的な話が中心となった。
先生からは、プレゼンの要点をつかむこと、バックアップをとること、目次をつくる
こと、アニメ、色、フォントなどを活用することについて注意を受けた。要点をつか
むことについては、PowerPointはWordと違ってスライド1枚に文字をあまり配置でき
ないので、要点を絞ってスライドに表現し、足りないところは口頭で補う形をとらざ
るをえないためだ。目次をつくるのも、プレゼンをおこなう上でオーディエンスにど
のような発表かを知らせ、退屈させないために必要となる。アニメなどの効果につい
ては「過剰にならないよう」効果的につかうように、とのこと。
その後みんなで色々試して遊んでいた。次回が楽しみだ。本日の欠席者はT.K.。
(Y.S.)
2001年10月23日
授業
久しぶりの秋晴れ。
M君から学外活動参加のため欠席とのメールあり。
本日のテーマは2つ。@Power PointとAScannerの使い方
の習得だ。
@Power Pointによる発表は、Wordによる発表の弊害を改善させるためにある。例え
ばWordでは、フォントが小さく画面上見づらく、また文章を多用しがちで、ダラダラ
した発表になりやすかった。
これらの弊害を克服するためにPower Pointを活用するのだが、従来よりも
シンプル且つコンパクトに要点をまとめあげることを要求される。
また同時に話す能力が重要になる。なぜならば、凝縮した要点だけをスクリーンに
表示して、尚且つaudienceを納得させるためには、内容を充分に理解した上で、説得
的に話す必要性があるからだ。
AHPの作成過程では、内容に相応しいイメージを貼り付けることによって、読者の
関心とページへの訴求力を強め、より魅力的なものにすることができる。
これまで、ゼミ生のプライバシー保護の点から、イメージの利用やダウンロードの
問題点について、注意を喚起してきたが、それを踏まえて、イメージの活用について
工夫して行きたいと、先生から話があった。そして、ゼミ教室に標準装備されている
スキャナーとフォトショップを使ってのイメージの取り込みと、メモ帳画面での
イメージ挿入のタグ(<img src=" ">)の講習があった。
いよいよ来週から2冊目のテキスト、森嶋通夫著「なぜ日本は没落するか」に突入。
1冊目の「冒険としての社会科学」と本書を参考に各自が、自分なりの社会科学に
関するテーマを設定し、問題の発見、展開に努めてゆくことになる。
加えてPower Pointを使用し、新たな発表技法に挑戦することになる。
(T.K.)
2001年10月16日
授業
天気は良好、最近肌寒く、だんだん秋らしくなってきた。
ホームページの「日記」ページを公表する際の、個人名の扱いについて話し合う。
名前を出しても構わない、イニシャルにして欲しい、揃えた方が良い、など意見
が出たが、結局、個人情報の保護の観点と各自の自由を確保する点、また、そもそも
日記ページの公開する対象と目的から、イニシャルにおきかえて統一するかたちに落ち着いた。
続いて、「冒険としての社会科学」最終章、第四章の、各ゼミ生のレジュメ発表を、先週に引
き続き行なう。
前回までは、パソコンからホワイトボードに映し出していたが、今回からレジュメを人数分
コピーして、それぞれ手元のプリントを見ながら発表を聞く。
あいかわらず、それぞれの着目点が異なっていて興味深い。
次回は、「冒険としての社会科学」の総評を行ない、スキャナの使い方を覚えていく
予定。
(H)
2001年10月9日
授業
(晴れ)
さわやかな秋晴れの日であった。5限(午後4時半〜)でもまだ明るい
日差しにブラインド越しに外を眺めやる。するととても大きなパラボナ
アンテナが飛び込んで来た。あれは何を集めているのだろう。
講義の冒頭で、先生よりこのゼミのテーマのひとつであるところのホーム
ページの作成に関する指導がいくつか為された。
ひとつは、前期から云われていたことであるが、各人がそのホームページ
の中身についてしっかり構想を練っておく必要があるとのことだった。
例えば、なぜこのゼミを履修しようと思ったか。また、テキストや発表技法
の指導から学んだこと、等々。
もうひとつは、日記の部分の表現についてのことであった。
個人情報の扱いについて、各々次回までに態度を決定しておくことが要求された。
先生の希望としては、オープンにできるものはできるだけオープンに、とのことであったが、
これに関しては今回の件に留まらず、今後日常生活を送るに際しても何
らかの形で対峙せねばならない問題であり、大いに熟考の価値がありそ
うだ。
その後、橋爪氏のテキストの第四章についての発表に移った。
日本人に特に見られる共同体意識についての疑問や阿部謹也の「世間」の問題提起。
また、橋爪氏の仮説であるところの「天皇共同体」の概念について。
またそこから、戦前、戦後両社会における天皇の位置付けに関するところまで議論は
波及していったのであった。
時間の都合で発表は二人が終えるのみに留まった。
次回、残りのメンバーの発表が行われる。
(M.T.)
2001年10月2日
授業
晴れ、少し暑い 全員出席
いよいよ長くも短い?夏休みも終わり、2ヶ月ぶりにゼミが再開された。
今日は久しぶりにゼミ生が顔を合わせたということで、一人ずつ夏休み
をどのように過ごしたかについて報告。 みんなそれぞれに過ごしたよ
うで、引越し、アルバイト、サークルの合宿、東南アジアへ旅行など、面
白い話が聞けて意外と盛り上がった。
さて、いよいよ本題。今日は後期の初回ということで、後期どのように
このゼミを進行していくのかについての意見交換と確認を行った。
レジュメ作成およびプレゼンテーションに関しては、前期に
引き続いて同様に行う。橋爪大三郎著『冒険としての社会科学』の第4
章が終了していないので、まずはそれを済ませ、橋爪氏の著書が終了した
ら、次に森嶋通夫著『なぜ日本は没落するのか』をテキストとして使用す
ることを確認した。
またこのゼミでは、各人がホームページの作成を義務付けられている。
そのコンテンツについては、夏休みに各自が考えておくことが宿題であったが、
講義の進行もまだ半ばということもあって具体的に内容が固まっている人が
ほとんどいなかった。
従ってテキスト読みの間に引き続き各人が形式と内容を工夫し、完璧な完成品
を初めから目指さず、とりあえず未完成のままでもアップ・ロードし、
ゼミの進行に合わせて、良いところを取り入れつつ、また、個人情報保護等
も話し合いながら、徐々にアップ・デートを重ねていくことを確認した。
先生からは、
- なぜこの基礎ゼミを履修しようと思ったか
- 各テキストや発表技法講習などから学んだこと
- 各人の社会科学の問題発見とその理由
などの柱が挙げられた。
(ミナガワ コウイチロウ)
2001年7月24日
授業
( )
2001年7月17日
授業
(晴れ時々曇り) 今回は欠席者なし。
前回に引き続き、第三章「マルクス主義はどうしてダメになったか」のレジュメ
発表が行われました。
発表者はER君と、僕、YM君の二人。
二人共、日本やロシアにおけるマルクス主義の歴史よりも、マルクスの理論に着目
した点(YM君は本来有るべき人間としての姿への回復を)では共通していた。
けれども、マルクスの理論の中での強調点は異なっており、有意義な発表になった
と思われます。
第一章の発表から比べると、それぞれの発表にもだいぶ独自色がでてきたようです。
次回も引き続き、残り二人の発表です。次回は各自、レジュメをプリントアウト
して先生に提出のこと。
(Y.M.)
2001年7月10日
授業
晴天
今日も早稲田の気温は30度を越え、湿度も高く動かなくても汗でシャツがにじ
む。しかし14号館の教室は空調設備が整っていて快適である。
ゼミ生同士いいかげん顔も覚え、ようやく軌道に乗り始めてきたと思ったら、残り
二回で前期は終了。 そこで、先生から夏休み中に自分たちのウェブページに何を載せ
るかを考え、テキストファイルで作成してきなさいとの指示が下る。後期に各自の
良い点を補って共通の形式で編集することになった。
今回はテキストの第三章「マルクス主義はどうしてダメになったか」についてプレ
ゼン、議論を行った。 マルクスとヘーゲルにおける「国家」に対するとらえ方の違
い、資本主義がマルクスの予期せぬ方向に進化・変貌をとげたとはどういうことなの
か、利潤率の低下の法則について…などなど、レジュメを叩き台にして議論が進む。
マルクス主義はただの理論ではなく、実際に多くの国々に影響を与えている点に注
意しなければならない。テキストも戦後日本社会を変えようとした人達について量を
割いている。なぜそういった改革がいきづまったかが「どうしてダメになったか」と
いうタイトルの理由となるだろう。 そういった今回のレジュメではふれられなかった
部分については、17日の発表で補うことになるはずだ。
それにつけても、レジュメ報告をした一人、MT君が嘗て高校生時代に浅間山荘事件や
「東大落城」に関心を持っていたことが吐露されて、シティーボーイの外見に似ぬ
内面に一同、ウーン。
余談になるが、かつて日本の大学ではマル経か近経かを選んで勉強していた、とい
う話になったとき、何気なく「先生が学生だったころはどうでしたか」と尋ねたとこ
ろ、「そんな年に見えますか」と真顔で言われた。そういえばウェブにある「帰去
来」に似たような話が…。
(Y.S.)
2001年7月3日
授業
全員出席
今日も快晴。連日30℃を超す記録的猛暑。本当に暑い。
まだ梅雨明け宣言していないけど、もう梅雨は明けてしまったのだろうか?この蒸し
暑さの中、学生は全体的に疲れ気味のようだ。しかし、それに反するかのように、最
近の上沼先生が上機嫌なのが気がかりである。
さて、今日のメインテーマは2つ。「表」と「リンク」の作成である。
@表の構造を示すタグは、 である。行と列及び見出しとセルの
中身データ、をデザインし整理してタグを付ければ意外と簡単。
例えば、「年間のスケジュール」のように、表にした方が解り易いものは表にする。
枠borderなしを利用すれば、頭だしを揃える編集にも使える。
A次にリンクタグは、と及びhrefである。
「上沼基礎ゼミ」のHP上から、各ゼミ生のHPへリンクさせるわけだが、その目的
は、ゼミ生各自が1年間の発見や成果を記録し、なおかつ来年度のゼミ生応募者等に
情報を提供する事にある。
3週に渡ったHP作成講習も、一応区切りがつき、来週からは、テキスト(第3章)に戻る。
(T.K.)
2001年6月26日
授業
天気は晴れ。6人全員出席。
前回に引き続き、基礎ゼミのホームページ作成の準備として、html文書のタグを覚
えていった。
今回は、「リスト」の作り方を学んだ。番号付きのリスト、番号なしの
リスト、2段階のキーワード付リスト、さらに「横線」の表し方、これらをひとつずつ試
していった。
初めは、リスト項目を列挙する際にゼミHPのコンセプトなど内容を各自で考えて、リスト
を作っていたが、後半は、時間の都合で、タグの使い方を覚えることを課題として、内容
はプリントのまま、リストを作る人も居た。
同じ構造の場合には、コピーとペーストを上手く利用して効率良く作業を進めるよ
うに先生から注意された。
入力することに集中していると、あっというまに時間が過ぎていく。また、タグ
は、正確に入力しないと、うまく反映されない。上にあるタグの指定がそのまま生き
ていたりとか、先生や仲間の目を借りて、間違いを探して見つけると一安心。
次回は、引き続き、htmlで、「表」を作っていく予定である。
(H)
2001年6月19日
授業
(曇り)
今回も全員が出席した。この日はテキスト読みと議論ではなく、
ホームページ作成の実習に終始した。
前回の実習では、背景と文字
に色付けをするところまでで終わっていたのだが、それからだいぶ
間があいてしまっていたため、準備に時間がかかってしまい、始め
るのが遅れてしまった。
メモ帳で作成するタグHTML文書を、メモ帳
とブラウザのネスケの両方で開き、両者を比べつつ作業をするのに
早く慣れよう。
最初に見出しの文字を6段階に大きくするタグを、その後、パラ
グラフや改行を指定するタグをテキストに入力し、練習用のホーム
ページに読み込ませて反映する作業を行った。 終盤の30分は各々
が実際にそれらを駆使してホームページ作成の練習を行った。
終わりに、先生からHP作成の実習をしている間に、テキストの第3章
をしっかり読んでレジュメにまとめておくように、という通達があっ
た。
授業のお終いに、前回宿題となっていた第2章レジュメの改良版
コピーを各自提出した。次回は、リスト構造や表を指定するタグを
実習する予定。
(M.T.)
2001年6月12日
授業
曇り 全員出席!!
本日は、「自然法」に関して、ゼミ生全員で議論を行う。
テキスト第2章「日本国憲法はなぜ美しいか」中の位置付け
のみならず、社会科学では古典派経済学や新古典派総合など
に見られる如く重要な概念だからである。
驚いたことに、突然、私が議論の進行役に指名された(ソフト
ボード・ペン・コントロールを使って、白紙に議論を整理しつつ
進行する役割を採用し、この日の日記当番が蜘蛛の巣払い)。
なかなか議論のいい切り口が見つからない。そこでまず、
改めて各人の「自然法」に対する考え方を聞くことから始める。
みんな色々な意見を述べてくれた。例えば、「後知恵的に正当化した
人為的なものである」「神の法に近い」、「人間の手付かずの生来的
なもの」など・・・・・。
はっきりとした考えはないものの、漠然としたイメージは、
持っているようであった。改めて様々な考え方があるなと思った。
次に、これも昔から議論されていることであるが、「所有権」の観点から
自然法を斬ってみようと考えた。
「所有権」は、自然法が認める「自然権」に含まれるのか?
ここでも様々な意見が出たが収拾つかず・・・。
進行役は難しいものである。田原総一朗氏のように上手くはいかない。
そうこうしている内に、見かねた先生はようやく助け舟を出して下さった。
先生の用意した資料であるマルサスの「人口論」における結婚制度、
財産制度の観点から「自然法」を考えて見ることになった。
先生は概念はその使用される文脈から切り離して論じても意味が無いと、
フランス革命を指導した自由、平等、進歩的な理性に基づく啓蒙主義者
によって攻撃された結婚、財産制度を、人口法則がもたらす悲惨状態を
緩和する歴史的な知恵として擁護したマルサスを引用したのだ。
最終的に、その時代毎に「時の為政者や国家権力を縛るもの」として、
「国家」や「実定法」の遥か以前からあったとして観念されて
きたもの、という方向性で議論の収拾が図られた。
先生は、副読本として新刊の小室直樹「痛快!憲法学」の一読を勧めた。
が、私は最後まで納得がいかなかった。
どこが納得がいかないかって?
収拾がつかなくなるのでここでやめておこう。
この続きは又、機会があればチャレンジしてみたいと思う。
「自然法」は強敵であったが、改めて「社会科学」を考える
いい機会を提供してくれたと思う。
(ミナガワ コウイチロウ)
2001年6月5日
授業
(晴れ?)
今回は、優秀にも?欠席者はなしです。
前半は、先生から、全画面表示状態において、ボード上のレジュメ画面に直接コメントや
アンダーライン、画像などの書き込みを行ったり印刷・保存するための手順
(Soft Boad Pen Control 32)を指導して頂きました。
各自、プレゼンテーションに利用しよう。
後半は、まず、前回欠席したH君の発表(前回より引き続き第二章「日本国憲法はどこが美しいか」について)が行われました。
その後、H君のレジュメをもとに、前回に引き続いた疑問点、主に自然法について、や「〜美しい」とは何を指すのかが話し合われました。
話しは、少々飛躍しながらも進み、結局のところ、結論に達することはできず、次回までに各自、自然法についての文献を集めてくることになりました。
また、この章に関して、各自の発表とコメントが一巡したので、冗長、散漫だったりした各自のレジュメをスッキリさせた改良版を仕上げて来ることになった。
(Y.M.)
2001年5月29日
授業
雷雨
本日1名欠席。先週も無断欠席者があったので先生に注意を受ける。やむを得ぬ欠席や遅刻の場合には、メールで事前に、それが不可能なら事後にメールで先生に連絡のこと。
先生から日記(これ)をwebで公開して、毎授業の進度を確認し合い参加者の情報共有を確実にし、更に来年以降本「基礎ゼミ」の履修希望学生に対する参考情報にしようと提案が出る。 これは、先生が在外研究で渡英する前年度に立ち上げたゼミ・ホームページの復活でもある。
今回は橋爪大三郎『冒険としての社会科学』第二章「日本国憲法はどこが美しいか」について3人が発表を行った。
3人ともレジュメはまだ要約の域を出ず、そのため発表に15分から20分と時間がかかり、なかなか討論に移れない。
先生はキリスト教的封建制が宗教改革と市民革命によってどう変化したのか、また自然の法・人間の法とは具体的に何かと指摘され、「もっと内容を再構築したレジュメ」を要求された。
(M.Y.)
2001年5月22日
授業
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