「社会科学をまなぶ」ということは?

Y.S.
 

ゼミの紹介・一年を振り返って

 前期は橋爪大三郎『冒険としての社会科学』、後期は森嶋通夫『なぜ日本は没落するか』をテキストとし進めていきました。
 授業の内容は、章単位でレジュメを作りword、powerpointなどを使いプレゼン、討論をするのが中心です。

 また、授業の成果をネットワークにアップロードし、全世界に発表することも授業の目的のひとつなので、HTMLの記述などコンピュータ の基本的な使い方も学びます。その成果がこのページというわけです。

  感想としては、少人数形式なので発言がしやすく、自分達が授業を作っているように感じました。時間の都合上、内容的な部分では未消化な部分もありましたが、大人数の授業では味わえないものがあります。

 ただ、毎回レジュメを仕上げてこなくてはいけないので、根気があり、真面目な人向けだと思います。しかし主体的にかかわればかかわるほど得るものは多いでしょう。



プレゼン資料の一部(IEのみ閲覧可能)


社会科学を学ぶということは?(テーマとケースに即して)

 この授業の目的は「社会科学を学ぶということはどういうことか?」ということについて答えることである。私は社会科学部に所属し、さまざまな授業をとってきた。しかし、なぜ社会科学を学んでいるのか、また社会科学とはどういうものであるか、そうしたことについてはあまり考えてこなかったように思える。

 テキストは二冊とも、現代の日本社会、「いま、私たちが住んでいる社会」を分析している。明治維新よりはじまった「近代化」と、二つの戦争、そしてそれをふまえた「戦後」の日本社会についての問題点を誰にでもわかる言葉でまとめている。テキストを通して感じたことは、今の自分の住んでいる社会の問題にについて、世界中の誰でもわかる言葉(科学)で整理し、解決策を提言することが、社会科学だといえる。

 現代の日本社会は官僚制的もしくは目に見えない共同体的縛りが強く、一人一人が自分の意見をいえない「集団主義」がはびこる一方で、「個人主義」を誤解した利己主義がはびこっている。これにより価値観の分裂と、倫理の低下、それにともなう社会不安を生んでいる。そこで自分は、そうした日本社会の背後にある社会意識に興味がある。

 そのなかでも、「公共圏」や共同体にかかわる問題を勉強していきたい。社会の転換期において、既存の経済、政治体制のあり方に問題提起し、個人が主体となって問題解決のための政策を提示、実行していく社会活動が行われる社会的領域を「公共圏」という。現在の日本社会においては、こうした個人主体の自由な社会運動がおそろしく未成熟である。そのため、テキストでもあった官僚制や、伝統的共同体的な集団主義の弊害から逃れられていないように感じる。そのために、「公共圏」とはいかなるものか、また、どういった公共圏を構築することがベターなのかということについて考えていきたいと思う。

キーワード 「公共圏」「共同体」「個人」「意思決定」「ネットワーキング」


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