早稲田大学社会科学部
上沼ゼミナール
政策科学研究
Last Update : 07/1/31
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ようこそ!
このページは、桑原 悠の上沼ゼミでの研究ページです。
随時更新中。
テーマ
「後藤田正晴に学ぶ未来の日米関係の在り方」
研究動機
新潟の実家から帰京し、突然つけたテレビに後藤田正晴さんの訃報が流れた。
2005年9月21日のことだった。
信じられずに何度もチャンネルを替えた。いつの間にか、食べかけのアイスがどろどろに
溶けていた。
その速報を伝え終えたアナウンサーの手が、すぐ次のニュースペーパーへと移ってしまったのと同じように、
「一つの時代」が「次の時代」へと移り変わっていくのを感じた。
私が後藤田さんを好きなのは、最も尊敬する祖父に重ねて見ているからかもしれない。
祖父は後藤田さんに似ている。同世代であり、頭がよく切れる所や少し頑固そうな所、学び続ける姿勢も、そして外見も。
しかし、いちばん重要な点は、2人とも戦争の経験を忘れずに一生、背負い続けてきたことだ。
太平洋戦争の時代にはちょうど血気盛りの年頃。後藤田さんは台湾で兵役に就いた。
ちなみに祖父は皇居で近衛兵として天皇をお護りしたそうである。
終戦直後の日本の凄惨さやアメリカに対するこの上ない
屈辱感を味わった。
祖父の、そして後藤田さんの一つ一つの言葉に、重みを感じるのはきっと、その経験が背景にあるからだと思う。
「一つの時代」が過ぎ去るのを私は黙って見ていられない。
後藤田さんと同じく、多くの「元兵士」で、戦後日本の復興に励んでこられたその殆どがこの世を去っていく今、
戦後まもなくして彼らが描き、託した未来のあるべき日本の姿とは何か見てみたくなった。
そしてそれを、昔も今も日本に大きな政治的・経済的影響を及ぼし続けるアメリカの存在に加え、昨今ますます
存在感を増している中国の動向を見据えながら。
また、後藤田さんが遺した言葉の数々と彼の功績、他に与えた影響は研究に値すると思っている。
研究計画
- ニクソン・ショック期の米中接近とそれによる日本の外交の変容を見ていく。
- 日中国交正常化へ向かう議論の展開
- 中曽根内閣での日米関係緊密化(ロン・ヤス関係)
- 湾岸戦争と長期保守政権の制度疲労について
後藤田氏(1914-2005) 経歴
- 徳島県生まれ。東大法学部卒業後、内務省(当時)に入省。
- 戦時中は台湾で兵役に就く。
- 戦後、警察庁で相次いで発生した過激派事件に対応。
- 田中角栄内閣で官房副長官を務めた。
- 1976年に政界入りした後は、中曽根内閣で官房長官、宮沢内閣で副総理・法相。
- 1996年、引退。
参考文献・資料(の予定)
後藤田正晴(1994)『政と官』講談社 252pp.
佐々淳行(2006)『後藤田正晴と十二人の総理たち』文藝春秋 447pp.
後藤田正晴著 御厨貴監修(1998) 『情と理』講談社 381pp.
後藤田正晴(2005)『後藤田正晴 語り遺したいこと』(シリーズ<岩波ブックレット>667) 岩波書店 64pp.
新潟日報報道部編(2006)『宰相田中角栄の真実』新潟日報事業社 200pp.
渡邊照夫編(1995)『戦後日本の宰相たち』中央公論社 520pp.
特集「時代の証言者」『読売新聞』2004年6月29日-8月3日(朝刊)
特集「現論」『新潟日報』2003年12月30日、2004年2月21日、5月8日、7月24日、10月16日(朝刊)
ふるさと 新潟

秋山郷・和山にて