当ページは早稲田大学社会科学部所属、竹村悠の個人研究のページです。
テーマ:ネオリベ批判 |
ケース:新自由主義が促進する格差拡大について ケース:ベーシック・インカム制度のケース |
「最近の大学生は主専攻と副専攻という肩書きをもつが、だからといって何が解決できるのか。
大切なのは、自分が問題だと思うことを解決するために、何を学んだかじゃないか。」
というのは当ゼミナールの上沼先生のお言葉である。
私はこの話を聞いたとき、正直はじめて自分が大学生である意義を見つけたといっても過言ではないだろう。
大学に入学し、がむしゃらに本を読み漁るもののイマイチの感触を掴めなかったのは、
まさにこの考えに欠けていたからなのだろう。
そんな私が社会科学部の学生というアイデンティティを持つ自分を初めて自覚したと同時に、
それまで迷走していた学生生活に自分が向かうべき道となりを発見した瞬間であった。
この研究をしようと思うに至った動機であるが、私が問題視したのはまず格差についてだった。
当たり前のことだが、見失ってはいけないのは社会科学の存在意義であろう。
それは元をたどれば社会科学の出発点は分析哲学の基となる論理実証主義に端をなしているのだから、社会科学が哲学の意味を失ってはならない。つまり、哲学における普遍的な幸福の本質を追求するものでなくてはならないわけで、ここに階層や格差が生じることが問題となる。もちろん、100%の実現は不可能であり理想は遥か桃源郷にあるわけだが、少なくとも格差の消滅に漸近すべき使命を社会科学が担っていることを忘れてはいけない。
ネオリベ、つまり新自由主義においては経済成長を推し進める政策が重用されるが、わたしはこれに共感できない。
実際問題として、先進国においては消費需要の利用した経済促進に依存しがちである。携帯産業や、地デジへの切り替えの事実的強制などがいい例である。需要が向上すれば、コストも飛躍することから、更なる格差の問題が発生する。
また現在、修正資本主義においては、国の豊かさを示す”GDP”という経済指標があるが、国民は経済成長によってもたらされたGDP向上に、何の価値を見出すのか。経済成長は、本当に人々を幸せにし得たのだろうか?
グローバリゼーションにおける経済的格差研究をとおして、出来るだけイデオロギーのような抽象的な問題に触れずに、新自由主義を批判。また、近年注目されているベーシック・インカムの制度を検討してみながら、現在の修正資本主義を基にどういった政策が展開可能なのかを模索していきたい。