私はこれから、パチンコ依存症に関する研究結果や現状を打開するための政策をエラそうに報告・提言するわけだが、実は、この私自身、過去にパチンコにのめりこみ、抜け出すことが困難な状況に陥ったことがある。
依存症という恐ろしい病に蝕まれていくうちに、「自分は意志が弱く、存在価値のない人間だ」などと、自らを卑下し、軽度のうつ状態になったのだが、あるドキュメンタリー番組との出会いにより、「依存症は本人の意思が弱いのではなく、正真正銘の病気なのだ」ということを知る。
この出会いがきっかけとなり、依存症克服へと一気に向かう。その闘病中、自らで克服のための調査をしていくうちに、ギャンブル依存症患者の悲惨な現状に直面し、「病的賭博」という言葉の社会的認知度の低さを思い知らされる。むろん、「病的賭博」という言葉を認知していなかった一人に、かつての私も含まれていた。
今回ギャンブル依存症に関する研究を始めることになった一番の要因としては、この拭い去れない負の記憶と闘病中に知り得た驚くべき調査結果の記憶が、私の中に深く刻まれていたことにあると考えられる。
前述のとおり、パチンコ依存症との闘病中に、私はパチンコ依存症を克服するための調査として、様々な書籍や映像資料にあたった。その調査の中で、ある大きな疑問にぶつかる。
「賭博は刑法で禁止されているにもかかわらず、なぜパチンコやスロットが存在するのだろうか。」
実は、この後すぐに、海外留学をしたために、この疑問を解決しないまま調査を終えてしまった。そこで今回、解決しないままにしていたこの疑問を解決するよい機会であると考えたことが動機の一つとなった。
そして昨年末にIR推進法が国会へ再提出されたことを知り、わたしの中に眠っていた負の記憶と調査結果に愕然とした記憶が一気によみがえってきた。
このことが契機となり、再度、ギャンブル依存症に関する書籍にあたってみると、なんと日本のカジノ導入によりパチンコ業界が技術提供などにより、ビジネスチャンスをつかむ恐れがあると明記されていたのだ。
その著者は続けて、「パチンコ業界が換金合法化や株式上場をたくらんでいる」と指摘している。過去にパチンコ依存症になった自分としては、カジノがパチンコ業界の温床となり、今以上に、依存者を増やしてしまうことだけは避けなければならないと考えた。この時から、自分の経験が時事問題と絡み、ある種の使命感のようなものを抱き始めたのだ。
前面がガラス張りで、釘などの障害物とともに数か所の穴を設けた縦型の台に鋼鉄の小球をはじき、当たり穴に入ると多数の球が出る遊技。(広辞苑<第5版>参照)パチンコホールでの遊技では、1球につき1~4円の小球を買う必要がある。遊技後、出玉はホール内の景品交換所にて、ライター石、ペンダントや金地金と交換することができ、その景品をホール近くの換金所に持っていくと、現金と交換することができる。
厚生労働省研究班の調査によると、日本のギャンブル依存者は推定で536万人も存在する。日本の18歳以上の人口(約1億660万人)から計算すると、およそ20人に1人がギャンブル依存症を患っているということになる。
また、536万人のギャンブル依存者のうち、およそ9割がパチンコを利用しているという結果が出た。
さらに、同研究班による他国との比較調査では、4000人の成人のうち、アメリカでは1.6%、香港では1.8%、韓国では0.8%、そして我が国日本では10.5%の依存者が存在するという飛び抜けて悪い結果を出した。
現在では、パチンコ遊技人口は大幅に減少してきているが、1人あたりがパチンコに投資する金額が増加し、以前の依存者は重度の依存者へと変貌していることがわかる。(レジャー白書2015 参照)その原因についての説明は、後の章(パチンコ依存症の社会的要因)に譲る。
パチンコ依存症が重症化すると、最悪の場合、犯罪行為に走ってしまう可能性がある。
たとえば、投資金調達目的の犯罪では、強盗、横領、詐欺、窃盗など挙げればきりがない。他の事例として、パチンコで負けたストレスが原因の放火や育児放棄といった、投資金調達目的以外の犯罪も度々報告されている。
また、上記のような犯罪に走るケース以外にも、深刻なトラブルを招く。
たとえば、借金、破産、離婚、うつ病や自殺などがあげられる。ここに挙げていない事例以外にも、深刻なものは数多く存在するものと思われる。
このようなパチンコが原因の犯罪やトラブルが毎年頻発しているのである。
個人的心理から、パチンコがやめられなくなる理由は以下のとおりである。
本章では、パチンコ依存症の個人的要因に対して、パチンコ依存症を誘発する社会的要因について紹介したいと思う。
まず第1に挙げられる要因は、依存者本人の周囲の環境である。周囲の環境と一口に言っても非常に幅広いが、ここでは家族と社会という二つの大きな枠組みで捉えて論を進めたい。パチンコ依存症の個人的要因について述べた章においても説明したとおりだが、家族が依存症を適切な治療を必要とする「病気」であると認識していないために、依存者をいつまでも放置してしまったり、家族が金銭面で依存者を援助し、依存者が自身の問題の認識を遅らせてしまう共依存を招いてしまうことが前者に該当する。
そして、後者には、クレジット・サラ金業界、パチンコ業界、政府の責任などが挙げられる。クレジット・サラ金業界については、特に業界の中でも中堅の業者や闇金融が簡単な審査だけで金を貸したり、金融法に抵触して、定められた金額以上の金を貸し付けることが原因となっている。パチンコ依存者が簡単に借金を作れる仕組みができているために、依存者の借金は膨れ上がり易く、問題を深刻化させているのである。
次に、パチンコ業界の責任であるが、レジャー白書の2015年度版からも見て取れるように、パチンコ業界全体としての収益は年々大幅に減少してきている。それゆえに、パチンコ業界は顧客のパチンコ離れを防ぐために、また、新規顧客獲得のために、遊技者に強い幸福感を与える射幸性の高い機種を導入し、依存者を増加させてしまっている。
最後に、政府の責任について述べたい。結論から言うと、パチンコ業界は行政と癒着している。ジャーナリストの寺澤有氏によると、パチンコ業界の各所(保通協、全日遊連、ホール、カード会社、交換所、景品問屋など)に、数多くの警察出身者が天下りしているそうだ。この天下り問題の背景には、団塊の世代の定年による、年1万人前後の警官退職が10年以上続いた「2007年問題」が関係している。一方、政界では、少なくない数の国会議員たちが、パチンコ業界から献金を受けている。ジャーナリストの三宅勝久氏が、2012年末に「My News Japan」で発表した記事では、民主党の海江田万里氏・赤松広隆氏、自民党の石原伸晃氏・甘利明氏がパチンコ業界から献金を受けており、他にも業界から献金を受けている議員はまだまだ多いと語っている。
実は、癒着問題は、まだ他方にも存在する。マスコミだ。本来ならば、パチンコ依存症問題や、それに関わる犯罪がもう少し大々的に取り沙汰されても不思議ではない。実際に、パチンコ依存症が深刻な社会問題であることは、これまで述べてきた内容で、ご理解いただけたと思う。にも関わらず、あまりこの言葉がメディアに登場することは少ない上、パチンコ依存が「病気」であるという認識を持つ者も少ない。これは、新聞社がパチンコ店メーカーからの広告収入にかなり依存しているため、パチンコ依存症問題やパチンコ業界の問題をほとんど取り上げないことが原因である。特に、地方では、そのことが顕著にあらわれている。つまり、ここで述べたいことは、政府がこのような状態を野放しにしてしまっていることに大きな責任があるということである。
確かに、これらの事実から窺えるとおり、パチンコ業界はその根を、社会の深くに下ろしているのが現状であり、簡単には、なくせなくなってしまっている。また、前記の「2007年問題」やマスコミの収入確保につながっていること、法律に抵触せず、娯楽として社会に定着していることを考慮すれば、完全にパチンコそのものをなくすことは難しく、完全になくす必要もないと考えるが、日本のギャンブル依存者536万人という数字は余りにも膨大すぎる。カジノ解禁を唱える前に、アメリカや韓国といった他国と同等の水準まで依存者を減らすことが、「筋」というものでなかろうか。先行研究において、パチンコ依存症の社会的要因が明らかにされているにも関わらず、ほとんど何も解決されていないことは非常に残念なことである。
第1に、カジノ導入と刑法との整合性が取れていないことが挙げられる。日本では、現在、刑法185条及び186条において、賭博行為と賭博場の開帳が禁止されている。しかし、カジノを導入するとなると、これらの法律を改正する必要があるのである。
第2に、法案にギャンブル依存症の対策が組み込まれていないことがある。仮に、このままの状態で、IR推進法が採用されてしまうと、さらなるギャンブル依存者が増加してしまうことは、明らかである。パチンコ依存者が、パチンコよりも賭け金を高く設定できるカジノに手を出し、依存症を重篤化させてしまう危険性も決して低くはないと考える。
第3に、統合型リゾートの管理責任の所在が不明確であることである。観光複合施設である以上、国交省が管理すべきであると考えられるが、カジノを賭博として扱うのであれば、パチンコ同様に、警察庁が管理すべきであると考えられる。このように、管轄が不明確な状態で、新たにカジノ施設を導入してしまうと、いざ、問題が生じた時に、責任の所在がはっきりしていないために、意思決定が円滑に進まず、迅速な対策が取られにくい状況が生み出される懸念がある。
ところで、余談ではあるが、IR推進法は、パチンコ業界にビジネスチャンスを与えて、パチンコをさらに蔓延させてしまうことにつながりかねないという議論も存在する。なぜなら、パチンコ業界は、カジノでも使われるスロットの知識を持っており、政界にも通じているためである。また、カジノ導入のための刑法改正の機に、パチンコ換金合法化がなされてしまうことも危惧しなければならないのである。
このように、IR推進法には、まだまだ議論を重ねられるべき項目がいくつかあるのだ。
メリットについては、先にも挙げたように、高齢者の通所を促進させることができる点である。娯楽の少ないデイサービスに、カジノを導入すれば、それに魅了されて、より多くの高齢者の通所が期待できるというものである。また、カジノは一人でプレイするものだけではないため、高齢者たちの所内での交流促進が期待でき、社交性の向上が見込まれる。そして、プレイと交流を通じて、脳を使う機会が増えるため、認知症予防も期待することができる。
しかしながら、まだまだ、改善すべきデメリットの部分が存在することも事実である。高齢者がカジノを長時間プレイすることによって、身体機能が低下してしまう可能性があることや、依存症になる危険性があることである。カジノを導入している一部のデイサービスでは、これらの問題に対して、対策を講じているようだが、本格的な導入となれば、国として明確なルールを立案する必要がある。
カジノ解禁議論については、これからも、パチンコ依存症問題の研究と同時並行で、調査にあたりたいと思う。
以上で見てきたように、パチンコ依存症問題とは、様々な社会問題が複雑に絡み合った末に、現れたものであり、簡単に解決することいはできない問題である。しかし、完全になくしてしまうことはできなくても、軽減することはできる。つまり、前述のとおり、厚生省の研究班の研究結果で挙げた他の先進国と同等の水準にまで、依存者数を減らすことはできるということである。
そこで、次のような標語を掲げたい。“治して、増やさない。”すなわち、パチンコ依存者数を減らすためには、単に、既存の依存者に対する治療を向上させるのみでは、根本的な解決にはならないので、治療の向上を目指しつつ、同時に、元から依存者を出させないように、予防的措置をとることが必要なのではないかと主張したいのである。
そのためには、第1段階(個人的要因の解決)として、依存者に対する治療の向上(=治して)のために、パチンコ依存症は「病」であるという事実を、社会的常識として定着させ、治療を求める患者たちを、十分な治療にあたらせられるように、治療施設を拡充させるための政策を考えねばならない。
次に、第2段階(社会的要因の解決)として、クレジット・サラ金業界の審査基準を強化させること、パチンコ業界に射幸性の低い機種を導入することを義務化させること、カジノ解禁議論について分析し、それぞれの課題に適切な政策を考える必要がある。
そして最後の第3段階(政策提言)として、“治して、増やさない。”を実現するための包括的な政策を提言するのである。
Last Update:2016/3/2
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