近年の観光産業の盛り上がりや、日本政府の2020年に訪日客4000万人の目標を掲げて規制緩和や投資を積極的な実施によって、国内の観光産業は大きな注目を浴びている。その中、授業をきっかけに、景観を用いて観光まちづくりをすることで人々を呼び込むことに対して興味を持った。
ゼミ論の題名は「観光による地域振興 都市整備によって観光産業を盛り上げる」であるように、都市整備によって観光産業を刺激し、地域振興をする手段を研究内容としたい。つまり研究を通じて、@都市整備を用いた観光まちづくりの地域振興の手段の考案A現在すでに行われている事業の改善点を考えることを行う予定である。
当初景観整備を主に考えていたが、資料を調べていくうちに景観を十分に生かすには景観を見る環境を整えなければならないことに思い至ったことと、そもそも交通環境の問題も大きく観光に影響するため、都市整備のほうがより包括的で適切かと考えたためテーマを変更した。ただ、より適切な名詞があれば今後変更していきたい。
観光というテーマは、周辺地域の住民、民間業者、NPO、行政、観光客と様々なアクターが関与する特性があるため、様々な立場の人々が参加することを念頭に置き、手段を検討していきたい。
また、調べる都市の対象としては、歴史的観光資源(主に人文景観)を持つ都市とする。
歴史的観光資源、自然的観光資源では関連する法案や省庁が異なり、範囲が広範囲になりすぎる危険性があるためだ。ただ、歴史的観光資源に注目して調べた都市が自然的観光資源をも持っている場合はそれも併せて考えたい。現時点では、観光資源を持たない都市(例:住宅地としての側面が強い都市)においては、「0から1を生む」困難さがあるためひとまず考慮しないことにした。
呼び込む観光客の対象は大きく分けて、国内の日本人と訪日外国人の2パターンが考えられる。
江戸時代、会津藩の城下町の中、旅籠の集積地として会津若松市七日町通り周辺は栄えていた。しかし、1860年の鳥羽・伏見の戦いを発端として開戦した戊辰戦争で会津も戦地となり、現会津若松市の地域は戦火に見舞われた。江戸時代に残っていた街並みのほとんどを会津若松市並びに七日町通りは失うこととなったが、明治・大正時代に再興され、複数の建築物が当時流行していた建築方式で建てられることとなった。
その後、七日町通りは商店街として機能していたが、昭和後期になり会津若松市自体の人口流出やバイパスの開通などで消費者が市街地から郊外店へ流出する事態が起き、七日町通りの商店街の利用客は年々減少の一途を辿っていった。利用客不足に伴い業績が悪化したことで畳む店も増え、いわゆる「シャッター街」となった七日町通りは通勤や通学途中の住民が通るだけ、といった状態にもなった。
しかし、有志が大正の町並み復活などを検討し、1994年に、通りに残る古く味わいのある建物を活かした城下町らしい特色ある商店街の復興と地域コミュニティの再構築を目的に、「七日町通りまちなみ協議会」が発足した。七日町通りまちなみ協議会を中心に町並みの整備に取り組み、市の助成を活用することで今ではシャッター通りと化していた七日町通りは観光地として再生し、年30万人以上の観光客が訪れにぎわいを見せている。
洋風化や近代化に伴い無理に設置されたトタンや新建材で覆われた商店を修景工事することで本来持っていた趣を取り戻し、さらにはより観光客を呼び込む魅力を持った商店にする。特に1994年に設立された七日町通りまちなみ協議会は重要な役割を果たしており、建物所有者とテナント入居者のマッチングを行い、テナント入居者には希望する外観の建築物を提供する。建物所有者の説得という地道な活動を行いながら、出店資金のうち100万円を修景に充てることを条件に、タウン誌などを通じて入居を呼びかけた。
景観条例に基づく景観協定を締結し、市から景観形成地区に指定されることで助成金(上限70万円)を得られる仕組みがあり、これが2に該当する。また積極的にマッチングを行うことで結果的に空き家店舗もしくは空き家になりそうな町屋の利用に寄与し、にぎわい創出のための大きな役割を果たしている。
1993年の調査では七日町通りの通勤・通学目的以外の利用者は一日あたりほぼ0人を計測した。しかし、七日町通りまちばみ協議会が設立され建築物の修景工事を実施(第一号は茶店やまでら)、これに端を発し様々な景観整備事業や観光まちづくりの取り組みを行政やJRなどの民間業者と共に推し進めることとなった。
その結果、2010年度の調査では七日町通りの中でもばらつきは見られるが、一日あたり約1000人〜1300人の利用者を記録し年間約35万人程が七日町通りに訪れるようになり、会津若松市における観光スポットとなっている。
蔵造りの町並みは、明治26年の川越大火を契機として生まれた。復興にあたり、日本固有の耐火建築である土蔵造りを採用。その後も、昭和初期に至るまで各時代の流行を取り入れながら町並みが発展した。昭和中期以降、欧米化の流れに伴い、商業形態も変化し取り壊しが相次ぎ、残った店舗も古くさいとみなされ、無理やり洋風に改装された。川越駅周辺の開発の結果、顧客だけでなく移転する店舗も多く、蔵造りの街並みは次第に寂れていく。
昭和40年代以降、町並み保存運動が開始。時期を前後し付近に高層マンションの建設と都市計画道路事業によって蔵造りの町並みの一部取り壊しが決定され、歴史的環境の保全と既定都市計画とのギャップが顕在化するようになった。住民による反対運動や町並み保護の取り組みを受け、市は都市計画、景観誘導対応策の検討をはじめる。1987年、川越一番街町並み委員会が住民有志によって設立され、一番街の「まちづくりの合意形成を図る場」として機能し、一番街の整備を主導している。
1987年に一番街の「まちづくりの合意形成を図る場」として発足した。構成員は商店街のメンバーや、自治会、専門家と NPO 川越蔵の会で、行政(文化財保護課、まちづくり計画課、商工振興課)はオブザーバーとして参加している。
店を新しく建築、改築する際、建築計画を委員会に提出してもらい、町並み規範(あくまで自主協定ルールで法的根拠はない)に照らして建築の許可、不許可を判断する。委員会で許可が下りた場合に初めて行政に申請する形となり、行政が建築基準法・都市計画法に照らし合わせ、建築許可が下りるという流れを構築している。また、月に一度のペースで会合を開き、まちづくり一般についても話し合っている。
観光まちづくりや景観問題が話題になった結果、伝統的建造物の保護意識の高まりや残す価値の共有が進み、保存・再生の取り組みが活発になった。
その結果、伝統的建造物が商店街にとっての貴重な観光資源へとなった。伝統的建造物単体だけでなく、周辺の建築物や道路整備により伝統的建造物の景観上の魅力を引き立たせ、商店街周辺地域一体の景観の魅力が向上した。これに伴い、商店街来訪者が増加した。川越市観光客(2015年度約657万人)の約9割が蔵の町並みを訪れており、商店街観光客にとって蔵造りの町並みは重要な観光スポット、また買い物拠点であることがわかる。
一番街商店街の調査を進めると、「通りが狭く車と人の接触事故が心配」という意見がアンケートでの解答や旅行サイトでの口コミでしばしば見られ、一番街商店街の注目すべき課題は「通りの狭さ」だと考えられる。観光客にとっては「町並みを楽しみたいが、道路の狭く危険なので、町並みや買い物をゆったりと楽しめない」、住民にとっては「観光客が増えるのは良いが、一番街が混雑しすぎて危険」といった状況になっているのが現状である。
一番街周辺は、周辺住民の生活道路かつ観光の拠点となっているが故に人と車の往来が激しく、早急に歩行者の安全対策や交通環境の改善が必要である。もともと一番街を含む中央通り線は幅員約11メートルであるが、都市計画道路事業として幅員20メートルに拡幅決定された。この都市計画道路事業によって蔵造りの町並みの西側が取り壊されることも決まり、それに反対する形で蔵造りの町並み保護のための住民運動が盛り上がり、都市計画が見直され工事の中止に落ち着いたのである。そのため、道路の拡幅工事による解決は現実問題困難だ。そのため道路を整備するのではなく、交通をてこ入れし、何らかの形で改善することが求められる。
交通状況改善のため、2009年、川越一番街での歩行者天国と車の一方通行の社会実験が実施された。
社会実験後のアンケート調査では、観光客、周辺住民ともに歩行者天国と一方通行によって安全確保されることは認識したが、当然ながら周辺住民は「観光<生活」であり、今後歩行者天国や車の一方通行を実施するにも、休日のみ実施などの条件付きの交通制限でなければ賛成できない、という意見が多数を占めた。
自家用車で訪れる観光客の多くは迂回して一番街の通りを避け混雑に巻き込まれる頻度や時間が短いことから、住民にも迂回ルートなど上手い誘導策を提示し、一番街の通過頻度を下げることができれば現在発生している問題は解決しそうではあるが、なかなかうまくいかない。
今も歩行者天国と車の一方通行は正式には実施されず、市と住民で話し合いが続いている状況である。
2017年1月10日の日本経済新聞の記事、「町の景観改善を支援 国交省、全国10都市で」の中で国土交通省が訪日外国人増加に向け、2017年度から観光地の景観改善を支援する制度をつくることが明らかになった。
記事内では、@歴史的な建造物の修繕や保存に加え、周辺の公園や歩道の整備を一体で進めやすくすることA全国10カ所をモデル地区に指定し、集中的に町並みを改める。B2017年3月にも地区を選び、17〜19年度の3年間に集中支援する…といったある程度の動向が紹介されている。
当制度によって、これまでバラバラに手掛けていた建造物の保存や城跡公園の整備などをまとめて実施し、街路樹や広場、展望台の整備を行うことや、ガードレールや路面の塗り替え、景観を損なう屋外広告の撤去が進むことが期待される。
私自身の研究内容である、周辺地域一体となった観光まちづくりと制度によって期待される事業内容が近いため、今後国や地方自治体が発信する情報に注視し、研究に生かしていきたい。特に、明日の日本を支える観光ビジョン構想会議が当制度に関する議論を交わしているため、これまでの提言内容やこれからの動向を調査したい。