学校で「政治的有効性感覚」を育むためには何が必要か
−校則見直し事例の比較を通じた提案−
早稲田大学社会科学部2年
上沼ゼミT 寺田尚生

「真剣な学生の会議のイラスト」, いらすとや
章立て
- 第1章 研究の動機
- 第2章 本研究で対象とする事柄
- 第3章 研究の手法
- 第4章 仮説
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- 参考文献
第1章 研究の動機
この研究は、「私たち日本人は、社会に対して受け身になりすぎているのではないか」という本稿筆者が抱いた違和感から始まったものである。「社会に対して受け身になる」というのは、「社会の一員として社会を変える権利を与えられているのにも関わらず、それを行使せず、愚痴をこぼしながら自分以外の誰かが社会を変えてくれることを待っている状態」を指す。学校の校則について、自分で問題提起する努力はしないで不平不満を垂れるだけでいる同級生や、SNS上で雄弁に政治について批判する投稿を見て、肌感覚ながら「社会を変える努力をしないで批判だけはする」ような風潮が蔓延っているのではないかと感じるようになった。そして、より良い社会を作るためには、もっと人々が社会の問題を自分ごととして考えて行動することが必要なのではないかと考えるようになった。
このような問題意識から、日本の人々の社会に対する当事者意識について調べたところ、日本の若者の社会の一員としての当事者意識が非常に残念なものとなっていることが分かった。日本・アメリカ・イギリス・中国・韓国・インドを対象に若者の国や社会に対する意識を調査した、日本財団の「18歳意識調査」の結果を紹介する。この調査によれば、日本人で「自分の行動で、国や社会を変えられると思う」と答えた人は約26.9%で最下位、日本に次いで低いイギリスと比べても割合は半分以下であった。また、「自分は責任がある社会の一員だと思う」だと考える日本人回答者は、約48.4%と、他国の半分に近い割合にとどまっていた。この結果は、日本の若者が、身の回りの社会が抱える問題に対して立ちすくむ状態にあることを示唆している。
次に、本稿筆者は、どのような理由から社会に対する当事者意識の低さが生み出されているのか考えた。その結果、学校生活で抱く「社会に対する無力感」が原因となっているのではないかという仮説を立てている。多くの人々にとって、学校は人生で最初に経験する社会である。その学校の中で「自分たちの力で社会を変えることができる」という実感が得られていないことが、自分の行動で社会を変えようとする動機を潰しているのではないだろうか。
以上のような問題意識・仮説に基づいて、本研究では、「自分の力で社会を変えられる」という感覚を学校で育むためにはどのような要素が求められるのか検討する。
第2章 本研究で対象とする事柄
まず、本研究の主題で示している「政治的有効性感覚」という概念について整理する。「政治的有効性感覚」は政治参加に関する研究において用いられる概念の一つで、端的に表現すると、「自分の意見や行動が、政治や政策に影響力を持っているという感覚」を表す概念である。例えば、金(2015)では「政治的有効性感覚とは、市民が政府や議会などの政治的領域に自ら影響力を行使することができるか否かを表す感覚である。」と解されている。学校教育を主題とする本研究においては、「政治的有効性感覚」を「児童生徒が、校則や学校行事などの学校運営に自ら影響力を行使することができるか否かを表す感覚」と定義する。第1章で述べた「自分で社会を変えられる」という感覚も、この「政治的有効性感覚」にあたるものとして表記する。
次に、本研究において重点的に調査する事柄について説明する。本研究においては校則の見直しに注目して調査を行う。校則の見直しに注目した理由は2点ある。1点目は、校則を見直すことが児童生徒の「政治的有効性感覚」を規定する重要な要素であると考えたからである。児童生徒にとって、校則は人生で最初に経験する社会的規範である。そのような性質を持った校則において、校則の内容について納得の行く説明や対応が得られなかったり、校則を変えるべくして起こした行動が教職員に阻害されてしまったりしてしまうと、児童生徒は「どれだけ頑張っても社会を変えることはできない」「社会のルールは理不尽だ」という感覚を根付かせてしまう。逆に、児童生徒が主体となって校則のあり方について話し合うなど、ルールに対する違和感を解消するための機会が用意されていれば、社会に対してより前向きな姿勢を育むことができるはずである。2点目は、校則が一般性を持った事柄であるからである。児童生徒が主体的に関わることができ、それを通じて「政治的有効性感覚」を身につけることができる事柄には、校則以外にも学校行事の見直しや運営などが想定できる。しかし、それらは各学校によって行事の有無、形態に差があることが予測され、比較検討することが困難であると予測される。本研究のゴールとして政策提言を行うことも鑑みれば、多くの学校で設置されているであろう校則に注目することが合理的であると考えた。
続いて、本研究で扱う校則の見直しについて、どのような点が問題となっているのか述べる。2017年に黒染めを強要された生徒が学校・自治体を相手に裁判を起こしたことを契機に、校則のあり方が大きく話題となった。これに対して文部科学省は2021年に「学校を取り巻く社会環境や児童生徒の状況は変化するため、校則の内容は、児童生徒の実情、保護者の考え方、地域の状況、社会の常識、時代の進展などを踏まえたものになっているか、絶えず積極的に見直さなければならない。」という見解を示し、教育委員会や学校に対応を求めた。このような流れを踏まえて、各学校で校則を見直そうとする動きが生まれつつあるが、依然として問題は存在する。一つは、校則の見直し自体がそれほど進んでいないという点である。片山(2022)は、近畿圏の公立学校1036校に対してアンケートを行った結果、「校則の変更はマイナーチェンジにとどまっていることがわかった。教員間の価値観にばらつきがあり、それが変更を妨げるネックとなっていたのである。」と述べている。もう一つは、校則が見直されたとしても、それが児童生徒の納得間につながっていないケースがあるという点である。本稿筆者の出身校では、生徒会が校則の改正に向けて活動し、全校生徒から募集した意見を教職員に提出するなどして改正に向けた交渉を行っていた。しかし、教職員に学校の伝統を守るためという理由で反対され、生徒会は交渉を断念した。ところが、ある日教職員側の意見が一点し、教職員によるトップダウンで校則の改正が実現された。こうして生徒が望んだ校則改正は実現したものの、「最初に自分たちの要求が通らなかった理由がわからない」「結局先生の一存で物事が決まってしまう」といった違和感が残ったそうだ。1事例に過ぎないため一般性に欠けるものの、この事例は、校則を単に改正するだけでは児童生徒の納得感につながらず、理想とする「政治的有効性感覚」に結びつかないということを示唆している。そして、本研究では、後者の校則見直しの過程について着目したい。
これらの点を踏まえて、本研究では、各学校で校則を見直す過程に着目し、校則見直しが児童生徒の「政治的有効性感覚」を育むものとするために必要な要素を明らかにすることを目指す。
第3章 研究の手法
校則見直しの適切なあり方を明確にするために、見直し事例の比較を行う。比較対象としては、校則を見直して児童生徒の納得感が得られた事例と、そうではない事例を取り上げる。
第4章 仮説
校則見直しを妨げている要因は、教職員の間での価値観の相違であると推測される。鈴木(2003)は、高校教員の規範に関する意識を調査し、その結果「生徒に対して拘束への従属を要求する程度は、管理職の教員の方が相対的に大きい」、「管理職の教員は、生徒の権威・権力に従属する態度と勉学の態度とを関連づける傾向が相対的に高い」、「管理職の教員は非管理職の教員と比較して、権威・権力の行使の主体・客体のいずれの立場においても、権威・権力への従属について肯定的」と分析しており、管理職の立場にある教職員を中心に既存の規則に異議を唱える姿勢にネガティブな感情を抱きがちであることを示唆している。このようなネガティブな感情があるが故に、教職員の間で校則に対する価値観がまとまらず、児童生徒の納得感を得られない状態が生まれていると考えられる。
参考文献・リンクページ
Last Update: 2023/01/31
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